東条地区の歴史遺産

立ち止まってみてみよう! 路傍の石いろいろ。

東条の石塔・石仏

庶民の願いや祈りを伝える貴重な文化遺産

江戸時代の石塔・石仏などが数多く残る東条地区。
庚申塔57基、道祖神17基、養蚕神10基、馬頭観音13体他があり、全体で282基。
江戸中期十八世紀後半増えはじめ、江戸末期の文化・文政以後急増しました。
古いものほど手が込み、時代が下がると自然石に文字のみの碑も多くなっています。
これらの石造物は、きびしい生活を強いられた江戸時代農民の願いや祈り、
心の支えとして守り受け継がれてきたもの。
東条に生きた農民の歴史を刻み長い年月風雪に耐え、現在に生き続ける貴重な文化遺産。
路傍の石仏・石神は、激しい開発の中で本来あった場所から、別の場所に移されたり、
一ヶ所に集められる傾向が出てきました。
また心ない者によって持去られ行方不明となったものもあります。

庚申塔

干支のひとつ庚申(かのえさる、こうしん)の年は60年に1度回ってきます。
庚申塔はこの年に多く建てられています。
入母屋・宝塔型のものは年代が古く、時代を下ると青面金剛・庚申塔などの文字だけのものが建てられました。
庚申塔には、日と月、三猿などが刻まれているものもあります。
庚申待(こうしんまち)とは、庚申の夜、仏家では帝釈天と青面金剛、
神道では猿田彦を祀って身をつつしみ夜明かしする習俗。
中国道教に由来するタブー(禁忌)で、江戸時代に流行。
庚申の夜に寝てしまうと眠りに乗じて体内にいる三尸(さんし)という虫がはい出し、
天に昇り、その人の罪を天帝に告げるとも、三尸が人の生命を短くするともいわれています。

庚申(かのえさる)信仰

教祖・経典・教義なしの俗信(民間信仰)です。元は中国晋時代の「三尸(さんし)説」のようです。

人の体内には三匹の虫がいて頭・腹・足に住んでおり、人が死ぬと体から出て好き放題をしたいが為に、常に人の死を望んでいる。
この庚申の夜(「庚申待ち」と云い、菅間では「オカノエ」で通っていた)に人の体から抜け出して天上(天帝)に人間の罪を告げられては
大変なので夜通し起きて居らねばならず、三尸の虫が体から出ぬように過ごさなければならなかった。

「人」は誰でも過ちのある存在であり、いちいち天上界に報告され寿命が縮まっては迷惑千万であり、
何とかこの夜だけはやり過ごさねばならない、との俗信だったようです。

この「夜通し」にかこつけて、村内の「情報交換と飲み明かし」的な行事とし、この近辺では気心の通じやすい仲間内の結束として、
「講」をつくり順番に人呼びをしていたものだろうと考えます。念仏講的な要素が強まっていたのも事実です。
確か木箱に入れた掛け軸を持ち帰る人が次の「オカノエ」の亭主役だったと思います。

さて庚申塔についてです。
神道の猿田彦と仏教の青面(しょうめん)金剛がごっちゃになって、「申」と「猿」にこじつけ、さらには「三尸」と「三猿」をひっ付け、
天上に報告するイヤナ奴を「猿」として人間の罪をミザル・イワザル・キカザルを掘り付けた上に、
月待ち・日待ちの意味を込めて日輪・月輪を左右に配置してあるようです。

鳥は、ニワトリだとすれば夜明けの一番鶏鳴くまで。カラスだとすれば、やはり明けガラスが鳴くまで、との意味でしょうか。
いわば「延命寿命」を願ったもの、ともとれます。

付け加えれば、江戸期中期以降にそこそこ民間に浸透したらしく、幕藩体制維持にはもってこいの「お猿さん」ですね。
見ざる・言わざる・聞かざる、ですから。

地蔵菩薩

お地蔵さんと呼ばれ親しまれている地蔵菩薩は、お釈迦様の付託を受けて、釈迦入寂(亡くなること)後、
弥勒菩薩が衆生を救いに来るまでの間、無仏世界(仏・法・僧がおろそかにされる仏のいない世界)に住み、
人々を救い、六道の衆生を教え導く菩薩さま。
地獄の閻魔さまの本地とされ、賽の河原で苦しむ子供たちをやさしくいたわります。
子どもを育む仏さまでもあり、子安地蔵、六地蔵、延命地蔵、将軍地蔵などもあります。

道祖神

道祖神は本来、道路の辻や村の境に立って病気や悪霊が入り込むのを防ぎ、村人を守る神さまでした。
後世には猿田彦の信仰と結びつき、旅人の安全を守る道の神ともなりました。
また、般若寺竹原地区に見られるような双体道祖神は、男女2体和合の姿から縁結びの神、
性や生産の神として親しまれています。

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